宮崎県・「都城」の名前の由来は?
「雨の知らせか霧島山に雲がまた来てまたかかる」という句碑がJR肥薩線の矢筈駅の近くに建てられています。
野口雨情の句碑です。
この霧島連山を目の前にした宮崎県「都城」(みやこのじょう)にも彼は訪れていると伝えられています。
都城市は宮崎市に次ぎ、県内第2の人口を擁する主要都市です。
では、「都城」という名の由来はなんなのでしょうか。
宮崎県・「都城」の名前の由来は?
650年ほど前になりますが、1375年(天授元年)、今の都城市に城が建てられました。
その城の名前は、「都之城」。
当時の城主は、島津家の支族である北郷家の2代目当主である北郷義久です。
「都之城」という名は、都島に建てられたことから命名されました。
後に、この名前が地名になったというわけですね。
「地名が先じゃないのか」なんて感じる人がいるかもしれませんが、「岐阜城」を思い浮かべてみると、確かにと納得できるかもしれませんね。
今は宮崎県の人口第2の都市として南九州の流通の拠点としても発展が期待されています。
「ふるさと納税」では、肉牛の産地としても有名な都城は全国上位に名を連ねています。また、こういう人もいます。洒落を使って都城を「根性、根性、みやこんじょう」というのです。九州では「その人」のことを「そん人」、「あの人」のことを「あん人」と言います。日常的な言い方です。
今は「みやこのじょう」と発音していますが、もしかしたらこの「みやこんじょう」が「普通の」言い方だったのかもしれないとも思うのです。城に由来する名、これは歴史をもっと紐解いてみたい名前なのです。
「みやこのじょう」という音律も「都城」という漢字表記のイメージもとても好きです。城の名として命名した人は、きっと詩人のような感性を持っていたのではないでしょうか。「名は体を表す」と言います。私が「都城」から感じるふくよかさと気品は、私たちの心に何がしかのものをもたらしてくれているのかも知れないと思うこの頃です。
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