相田みつをさんの言葉で死ぬのをとどまったお話(名言・道)
相田みつをさんといえば「にんげんだもの」げ有名な詩人ですね。
相田 みつを(あいだ みつを、本名:相田 光男、雅号:貪不安(ドンフアン)[1]、1924年5月20日 – 1991年12月17日)は、日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人[2]、いのちの詩人[3]とも称される。
Wikipediaより引用です。
当時21歳だった私は、大学に通う中退屈な人生に嫌気がさしていました。
退屈、というか、しなくてはいけないことをただし続ける人生が嫌だったのです。大学に行き、授業に出て、単位をとる。卒業をしたら就職して、お仕事をする。
そんな決まり切ってつまらない人生なんか、やめてしまえと思ったのです。
別に辛いことはありませんでした。
ただ、生きていても楽しくないのなら死んでしまった方が楽なんじゃないかって。そんなことばかり考えていました。
そんな時、相田みつをさんの言葉に出会いました。
「道」相田みつをさんの詩
『道』
長い人生にはなあ どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ ならぬ道- てものがあるんだなそんなときはその道を 黙って歩くことだな 愚痴や弱音を吐かないでな
黙って歩くんだよ ただ黙って-涙なんか見せちゃダメだぜ!!
そしてなあ その時なんだよ 人間としての いのちの根が
ふかくなるのは・・・・・
初めに言っておきますが、私は別にこの道の言葉に感動したわけではありません。こいった言葉は正直誰でも書けると思うし、当然の事しか書いてありません。
ただ何となく、もうちょっと生きてみようかな、なんてことをぼんやりと考えました。何でかっていうと、こんな風に人生について考える人がいるんだなって、思ったからです。
人それぞれに考えることが違って、それぞれの人生があるのだと、考えました。
この言葉のほかにも、相田みつをさんの詩をいくつか見てきました。その中で、いくつか、好きな詩も見つかりました。
相田みつをさんの詩を見て行く中で、だんだんと私の人生にも色がついてきたように思います。言葉自体に感動することはありませんが、こういった考えがあるのか、ということを学び、人に少し興味がわいてきたのです。
相田みつをさんの詩。好きなものだけ。
相田みつをさんの詩の中には、教訓や教えのようなものが多くあります。
しかし、私はそれが好きではありません。清らかな人間が正しいと説いてるように感じたからです。
私が好きな詩は、それとは少し違ったものです。
(同じ人が作った詩でも、好き嫌いがあるのは当然ですよね。)
自然と思ったことが言葉に出たような詩。作っていないような詩が大好きです。聞くとすんなりと心に入る。納得できるような詩が好きです。
そんな詩たちをここに集めてみました。
こんな人がいれば人生はかわるのでしょうか。
こころから通じ合える人、そんな人が本当にいるのなら、素晴らしいです。
素直な心。美しい心。
あってもなくてもいいものは、
ないほうがいいんだな。
あってもいいもの、それはなくてもいいもの。
どのような道を歩くとも、
いのちいっぱいに
生きればいいぞ。
生きるということは、道をあるくこと。
外灯というのは
人のために つけるんだよな
わたしはどれだけ
外灯を つけられるだろうか
生きる意味について考える言葉。
感動いっぱい、
感激いっぱいのいのちを生きたい
感動、感激をできるってことはその人が心優しいということ。
綺麗な心っていうこと。
トマトにねぇ
いくら肥料をやったってさ
メロンにはならねんだなあ
でも、トマトがメロンより甘くなることはあるよ。
トマトがメロンをうらやましがって何が悪い。
毎日毎日の足跡が
おのずから人生の答えを出す
きれいな足跡には
きれいな水がたまる
きれいな水という表現。
これが相田さんの心が素直だということを表しているよう。
相田みつをさんが死んだのは私が生まれる前でした。
言葉の偉大さを、改めて感じさせられます。
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