三上つかさの雑談ブログ

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【淀屋橋の名前の由来は?】江戸時代の豪商・淀屋が架けた橋?

  公開日:2017年5月18日

淀屋橋

大阪・淀屋橋の名前の由来は?

その答えは、「江戸時代の豪商・淀屋が架けた橋である」からです。

大阪・梅田の南に位置する淀屋橋。大阪市役所がある中之島の南を流れる土佐堀川に架かる御堂筋(国道25号線)の橋であり、JR大阪駅・地下鉄御堂筋線梅田駅から南へ一駅目の駅名でもあります。現在はビジネス街として多くの会社がオフィスを抱える街。

この淀屋橋をかけたのは江戸時代の豪商・淀屋。大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展させたのはこの淀屋が幕府に訴えて全国の米相場の基準となる米市の設立をしたことが最大の要因でした。

中之島に米市を開いた淀屋は、中之島に渡るため自費で架けたのが淀屋橋です。この米市では世界の先物取引の起源といわれる米の先物取引が行われ、淀屋は莫大な利益を得ていました。その繁栄ぶりは井原西鶴が『日本永代蔵』にも書いています。

それだけ儲けていた淀屋は現在どうなったのか? 大金持ちとなった淀屋から借金する武家も多く、武家社会にも影響が大きくなりすぎたため幕府より財産没収されてしまったのです。闕所(けっしょ)処分といい、1705年(宝永2年)のことでした。

表向きは「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」という理由で財産没収になったものの、淀屋が諸大名に貸し付けていたお金は総額で銀1億貫、現代の金額に換算しておよそ100兆円だったといい、手持ちの金12万両、銀12万5000貫の他に北浜の土地・家屋なども没収されてしまいました。

闕所処分の前に番頭が現在の鳥取県倉吉市暖簾分けしており、その子孫が幕末に討幕運動に参加して復讐を果たすことになります。

土佐堀川のなにわ筋にかかる常安も淀屋初代である淀屋常安の名前が残っているものです。

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